おれの話きいてけ

なんでも赤裸々に話すまとまりもないブログ

良い人に振舞っている人ほど本音が垣間見えた時にぞっとして幻滅する

自分はまっとうな人間ですよと振舞っている人

くそまじめな人間というのはいる。

 

人に嫌なことは言うまいとするし、あくまでも自分はちゃんとしててまっとうで、周りの人から”ちゃんとしているね”と思われることを望んでいる。

 

でもそんな神のような人間はいなくて、人を下に見て優越感に浸ることだってあるだろうし誰かが不幸にあえばざまあみろと少しは思っているはずである。

明らかにマウンティングしてくるような奴は論外だが、普段いい人そうにすごく振舞っている人が、ほんの少しだけでも悪意を見せてきたときの威力はもっとすごい。

かなりぞっとする

 

でも明らかにするのはよくない、だって自分はまっとうな人間なのだから。

 

でもそうやって隠そうとすることによって、ほんの小さなぼろがものすごく目立ってしまうんだよね。

 

自分の中の常識を”普通”だとおもっている

こういうタイプの人間は自分の価値観が一般的であると固く思い込んでいる場合が多い。

あくまでも自分はまっとうな人間であると信じたがっている。

 

自分とは違った価値観が存在することにも疑問を感じ、それを非常識だと思ったり軽蔑することがある。

 

一日8時間勉強する。それは一人前になるためには当然だと思っている。

3時間勉強する人のことを”3時間しかしていない。自分のほうががんばっている”と思い、とにかくがんばっている自分を認めたい、そして周りに認めさせたい。

 

8時間すると決めている方が逆にだらけるから、集中して集中力の持つ限り勉強する人もいる。

でもそれを認められない。

 

他の人が何時間勉強していようとまるで関係ないしどうでもいいことなのに

「あいつは今日勉強してない」

といったことまで発言してしまう。

 

とにかく苦行に耐えて早起きしたり疲れているのに無理することが美徳だと思っている。

そんな苦しいことも乗り越えておれはがんばっていると思いたがっている。

 

しかし健康と余裕がないところからはクリエイティブなものはできない。

「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ)

料理の味付けに文句をいうことは相手の親を侮辱するも同然

料理の味付けやスタイルは当然家庭によって異なるのだが、それを自分の家庭のものが一番一般的で普通だと思い込んでいる。

 

自分が濃いと思うものは誰が食べても濃いと思い込んでいる。

 

「え、、、?濃いよね、、、?」みたいな失礼なことを気を遣っている風にすごくダイレクトにいったりする

 

肉じゃがを作って「もっと汁気を飛ばす」といえば

「え、、、?肉じゃがって普通こんなもんじゃない…?」

 

とかいう。

 

自分のママのレシピが世界基準だと思っているんですかな。

 

作っている人にたいして「普通」こうだなどというのはものすごく失礼である。

「普通」を作ろうとしているのではなくおいしいものを作ろうとしているわけで君のためだけに作ってわけではない

 

作っている人のレシピがその人の母親のものだった場合、それを否定するということになるわけだ。そんな繊細な問題を、気を遣ってるみたいな言い方でずけずけ言ってくるというの信じ難い。

 

良い人に振舞っておいて実は相手の気持ちなんて何も考えていないじゃないかということがわかる。

 

自分が信じていることを疑う勇気

異常なこだわりと自分のルール

こういったタイプの人間は自分の中に様々なルールを課している場合が多い。

 

・毎日必ず何時間勉強する

・毎日必ず何時に起きる

 

といったことから

 

・まな板はこの向きで干す

・靴はこうやってそろえる

・服はこうやってたたむ

・リモコンの置き方

 

全てにおいて自分の中でのルールがあり、他人を家に招待しておきながらも、そのルールが守られないと大きなストレスを感じ

まな板を洗ってあげたら

「逆向きで干してもらえる?」

と指図してくるレベルだ

 

洗い物のしかたや掃除の仕方もそうだ。

シンクと食器を同じスポンジで掃除する人に、

「え、分けないの?」

ということはものすごく無神経だ

 

自分は汚くてあり得ないと思うかもしれないが、それは人それぞれ。

それに対して非常識だというような発言をすることが非常識。

 

自分の常識が世界の常識と思っている証拠だ

 

もし相手の家庭がそうやって掃除をしていた場合

その親をばかにすることにもなる。

 

こうやって発言に気を付けるべきことはある。

考えてから物を言うべきなのだ。

無神経はいけない

 

その他にも本をコピーするのではなくPDFにしてiPadにいれるといったらなぜか自分のことではないのに嫌悪感を示したりする。

 

そしてすべてが自分の計画通りに運ばないことにも大きなストレスを感じる。

 

大学が開く時間が1分遅れただけでぶちぎれる。

電車が1分遅延してぶちぎれるようなタイプだ。

 

自分が”ちゃんと””まっとうに”生きているのだから、仕事する人間も同じでなければならない。

仕事で何時に開けると決まっているのを1分遅らせることが許せない。

 

ルールがまかり通るのが当然だと思っている

 

このような人間が追い詰められてストレスをため込んでいる場合、電車が遅延して駅員に八つ当たりする日本人が出来上がるのだ。

無私の日本人 (文春文庫)

自分をいい人に見せようとしすぎて狂う

本当は良い人じゃないのに、自分のことしか考えていないのに

 

自分は親切で他人を思いやるいい人間です

 

とむりやりに作っている人は結構いるかもしれないがかなり不健康だ

もちろん思っていることをすべていうのは最悪だが

 

自分は完璧な人間じゃないのだから、必要以上にいい人に見せようとするのはやめよう

 

と思うだけで随分楽になるのでは

 

johaan.hatenablog.com

 

ないだろうか