おれの話きいてけ

なんでも赤裸々に話すまとまりもないブログ

青はたくさんの赤からできている

鮮やかだった秋も終わりを見せ始め、ドイツの冬がやってきた。

 

一生明るくならないのではないかと思うようなこの曇天と深いく厚い雲、生き生きと積み重なっていた落ち葉も急に生気を失ったように見え、世界から色が無くなったかのような感覚になる。

落ち葉を踏む感覚も以前のような湿り気を含んだものではなく、パリパリと乾いているような、よりさみしいものになる。そこに加えて日も突然短くなる。

サマータイムは夏の間は1日が長く楽しく感じるが、終わったときの落差が激しいから嫌いだ。いきなり日が1時間短くなり、さらに冬至まで毎日1分ずつ短くなっていくのだ。ヨーロッパではサマータイムをなくそうという動きがある。これは夏にサマータイムにするのをやめるのではなく、1年中サマータイムのままでいこうというものだ。

 

この一時間の時差はかなりのストレスになり、毎年とても具合が悪くなる。精神的にも身体的にも決していいとは言えないので、1年中サマータイムのままなのは賛成だ。

 

ドイツには赤く色づく木が少ない。大抵は黄色くなる。ただ一色にも見えるのだが、よく見てみると黄色には色んな黄色がある。

黄色の中にも色んな色が含まれてていて、全部同じに見える落ち葉も全部全く違った色合いなのだ。同じ色など存在しない。

 

幼稚園の頃に母が

「子どもの頃絵の先生から『葉っぱにも同じ色も形もない、全部違う』と言われたことが印象に残った。ほんとうにそうのよ」と言っていたことを思い出す。

 

その当時の自分にはその言葉は深く刺さらずむしろ

「自分に深く納得させる言葉が必ずしも他人にもそう感じるわけではないのだな」と思った。

 

それは全てにおいていえる。

 

その人にとって良く理解できる言葉や説明がみんなにとってわかるということはまずない。一人一人が違う価値観を持っていて違う考え方がある。

 

しかし母がその時に言っていた言葉を今はすごく納得し共感している。

このようにその時には入ってこなかった言葉を後々になって深く理解できるということもあるのだ。

 

つまりはその時は多少混乱するようでも、色んな人の意見や考えを聴き頭に入れておくことは後々の大きな財産になるということである。

 

美術館で絵を見ていた時、印象派の画家の絵には本当にたくさんの色が使われ、その様々な色の集合である一つの色を表現している。この重なり合いに人は美しさを感じるのかもしれないと思った。

金髪の色にも蒼や緑が使われている。

赤いバラにも黄緑や黄色も。

 

これは子どもの頃、ブラウン管に思い切り顔を近づけてみてみた時三原色だけがあることを知った衝撃に似ている。

ドラえもんの青も、赤からできている。

 

青に見えるもの青でできているのではなく赤の集合体だったりするわけだ

 

ものごとはたまにすごく近くで、たまにはすごく遠くから、絵画を鑑賞するが如く見るべきなのだと学んだ。

なぜ、世界のエリートはどんなに忙しくても美術館に行くのか?

企画展だけじゃもったいない 日本の美術館めぐり

カフェのある美術館 素敵な時間をたのしむ

企画展がなくても楽しめるすごい美術館 (ヴィジュアル新書)

描かれた美少女たち